February252010

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NHK調べに依れば。ですが、我が国の10~20代における可処分所得中の、服にかける割合がとうとう70%を超えたそうです。これは1950年代後半の北米に於ける黒人ユースのそれを凌駕する、極端と言うべき数値であり、そもそも「でっかい会社が出す統計結果」というモノをハナから相手にしないタイプとしましては、「俄には信じられない」だの「絶対捏造だこんなもん」だのと言いたい所なのですけれども、慶応義塾大学、アテネフランセ、私塾、と、常に3つの学校で若い学生と接し、服飾の批評で禄を食み、正月明けから今年もデパート通い。という身としましては「リアルだな」と言わざるを得ません(NHKにいっぱい出てるからNHKの統計にヨイショしてんだろ。等と仰らぬよう)。

 そしてこのリアリティは勿論「最近みんなお洒落だもんね(特にメンズ)感」によって保証されている訳ですが、それ以上に「ちゃんと食ってないでしょ食い物なんでも良いでしょ感」によって、より多く保証されていると言えます。

 本来ならば音楽や書籍にかける割合の低下こそを真っ先に嘆くべきなのでしょうけれども、例えばファンメールに「あなたのCDは一枚も持っていません、ライブは一回も行った事がありません(が、「あなたの音楽の大ファン」です)」といった記述が目立つ様に成ったのはここ数年で、最初は「ああ、関係妄想の方だな。お大事に。サイトというものも善し悪しであるなあ」或いは「え?ひょっとしてケンカを売っているの?新しいなあこれは」等と思っていたのですが、その答えは「U-TUBEとニコ動で済ませている」のだと知った時には、これぞリアリズムによるファンタジー。と思ったものです。

 ワタシが「コンサートの料金」という、それまでは自分とは一切関係がないと思っていた実数について、自らの表現の素材の一部とし、自ら扱う事にしたのは、昨年からです。言うまでもありませんが「不景気だから値下げ」或いは「不景気だから敢えて値上げ」というのは無芸大食、与太郎でも出来る事です。今や「価格」も、芸術表現に包括されるファクターに成った時代だと言って良いでしょう。即ち、保守的な芸術は保守的な価格を持ち、先鋭的な芸術は先鋭的な価格を持と、前衛的な芸術は前衛的な価格を持つ訳です。

 と、話が逸れた上に、面白く成ってしまいましたが、要するに、パソコンから音と映像は出て来るが、飯と服は出て来ない(なので、外に出ない。という選択も過去のものとなり)。という事実を前にする限り、服代が圧迫するのは食事代だという二項対立イメージからはどうしても逃れられません。衣食と並ぶ「住」も考慮するならば、そのうち「部屋を持たず、ジャンクフードばかり食べている、凄くお洒落な青年。服は貸しロッカーへ」といった存在が顕在化するでしょう、などと言えば、地方都市在住の読者の方は吹き出されるかも知れませんが、中~近過去という物も以外と多彩多色でして、1960年代中期のクレージーキャッツ映画、例えば「ニッポン一の色男」を見るに、「部屋は狭くて汚いが、外に出る時はスーツでびしっとお洒落」という「平均的な」ライフスタイルが描かれています。

 とはいえ50年代末の黒人ユース(の中でも、統計の母集団に成る様な、大都市在住の、中流以上の生活水準の人々。と幾重にも限定されるとはいえ)は、ある意味社会的、攻撃的なメッセージとしてお洒落をしまくり、代わりにソウルフードを食べていた訳ですが、00年代末の黄色人ユースはジャンクフードを食べており、お洒落、しかも戦闘的なそれは大いに結構とはいえ、食は人なり。エンゲル係数だけ見れば「非常に豊か」とジャッジされてしまう現代の学生達ですが、魂の飯は良いけれども、壊れた飯はいけません。

 30年も続ければ、すっかり頭が馬鹿に成り、精神状態が悪く成り、内臓が弱く成り、勃起不全になり、肌がボロボロになります。現代は、ジャンクフードで内臓を責め立て、パソコンで自我を責め立て、コスメで顔面を責め立てる時代ですが、内臓さえ鍛えれば、あとの二つはどんなに責め立てても大した事ではないのではないかと思います。昨年のクリスマスに飯島愛さんが残したメッセージを真摯に受け止めなければいけません。AVがいけないわけがない。ハルシオンがいけないわけがない。孤独すらいけないわけがない。いけないのは、様々な理由をデッチ上げ、内臓を大切にしない事です。フードでジャンキーになるのは、ドラッグでジャンキーになるよりも、遥かに痛ましく、リアルな事です。

 スローフードだナチュラルフードだとトロくさい事を学生に言うのは無駄ですし、菓子を止めろとも言いません(今世紀の菓子類は、前世紀の菓子類よりも遥かにヘルシーですし)が、「平均的な一汁一菜の和食がヘルシー&ビューティー」というのは、今の所、加齢に危機感のある女性の間でしか定着していないでしょう。即ち、加齢に危機感のある女性でないと食べにくい存在になる可能性があります。ワタシが推奨するのは、動物の内臓や皮膚や砕いた骨、魚介類の切れ端、種類豊富なクズ野菜、豆等をゴチャゴチャに煮込んだ、安価で栄養豊富、しかも油と塩が強く、ラーメン舌やハンバーガー舌にも親しみのある、ガンボ(クレオール/ケイジャン料理)の安いプレートをカフェで出す事です。


 カフェ飯の世界というのは栄養価よりも、オモチャ感やママゴト感といった退行の悦びによって作られた世界であり、即ちオモチャ同様にカワイイけれども、オモチャ同様に「食べられません」というシールを貼らなくてはいけない代物ですので、主食が保証されているという状態でたまに淫するのが正しく、再び即ち、ずっとオモチャで遊んでいると、心身がオモチャに成ってしまうのです。

 濃色の煮込みが多いガンボ(クレオール/ケイジャン料理)の弱点は、「見た目に汚く、そして服が汚れやすい」に尽きるでしょう。前者は与し易いのではないかと思います。ガンボがドブ川の様に見えるのはミシシッピ川のシュミュラクラですが、日本人が大好きなカレーも改めて見るならばガンジス川です。しかし50年代末の黒人は、ガンボでシミだらけのスーツもクール。としました。

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